レビー小体型認知症の母

母は自転車で15分ほどのところに住んでおり、子供が小さい頃はしょっちゅう行き来して子育てを手伝ってもらっていた。
料理が得意で、孫の好きなものを用意して待ってくれている、そんな普通の母だった。

そんなさなか、もう15年以上前になるが、父が末期癌であることが分かり、その先の治療や生活の不安で母は鬱を患った。
父は癌が分かって半年ほどで亡くなったが、母は自活できたので時々子供を連れて遊びに行ったり、お正月にはいつもご馳走をつくってもてなしてくれて、服薬しながらも問題なく生活していた(と思う)。

それから5年ほどして、今度は母の癌が分かり、手術をして回復はしたものの、その半年後くらいから「身の置き所がない」「具合が悪い」と不調を訴えるようになった。通院していたメンタルクリニックに相談し、体調が悪くて眠れないと訴えて入院となった。
そこは閉鎖病棟で、持ち物を全部チェックされ、危険をもたらす恐れのあるものは全て没収(家族が持ち帰り)となった。一時的に大部屋に移ったが、「お金を取られた」「ネズミがいる」などと言い始めたり、夜間に徘徊して童謡を歌ったりし始めたため、個室に移り夜間は拘束された。
手足が震えるいわゆる「パーキンソン症状」も見られ、検査の結果「レビー小体型認知症」と診断された。
それからまた3~4か月入院しながら薬の調整をし、症状が落ち着いたので退院。
不思議なもので、癌になる前の生活レベルにまで戻って、直ったのではないかと思うほどの回復ぶりに、安心しきっていた。

が。
一昨年ごろ、また家で不調を訴え、せん妄が見られ始めたため、半ば強引に入院。
もう家では面倒見切れないと、弟と相談し入所を検討、母に告げたところ「親を捨てるのか」と大激怒。
担当医が中立の立場だと言いながら「そんなに入所が嫌なら」と母の肩を持って、それからまた急いで通所施設などを手配し、デイサービスや訪問介護を利用することを条件に、退院。
それからは、毎日のようにデイサービスに通い優等生だと言われ、ケアマネさんもお茶を出してもてなし、割と安定した生活ができている。
でも、きっとまた次の波がやってきて、良くなったとしても以前ほどにはもう戻らなくだんだん落ちていくと聞かされているので、年齢的にも次はもう入所かな、とも思い始めている。

息子の障害のことも知っている介護職の友人に、母がレビー小体型認知症だと伝えたら、「お子さんが自閉症でお母さんがレビーだなんて、なんでお前ばっかりそんな大変な思いするんだよ!」と嘆いてくれた。
確かに大変だし、仕事帰りにバタバタ家事をして病院に駆けつけているのに、「男と会ってただろ」などと訳の分からないことをののしられ、こんなこと言われてまでなんで見舞わなければいけないのかと本当に腹立たしく思ったけど、そんな母でもやはり見捨てられず、これも私に課せられた試練かと、半ばあきらめている。
今の母はせん妄ももちろんないので、年老いて衰えた分私に頼りきりではあるけど、今が一番いい時なのかも、とも思う。
母の当初の(元気に生きる)目標は、東京オリンピックを観戦(TVでだけど)することだったけど、それは開催されればかなえられそうなので、次は来年1月の娘の成人の晴れ着姿を見ることが当面の目標。
娘が小さい時、私は息子を療育に連れていくために娘を母に預けて出かけることが多く、母は娘が寂しがらないよう本当にかわいがってくれた。
…と書いたら当時を思い出して涙が出てきた。
だからこそ娘の晴れ着姿、できれば大学卒業の袴姿も見せてやりたいと思う。

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